待降節の意味 — アドベント・キャンドル —

2019年11月30日

昨年の待降節に、クラウス神父様の講話を音声でお届けしました。今回その講話の「アドベント・キャンドル」に関する部分を文字にしました。音声では片山さんがとても良い逐次通訳してくれましたが、いきなり本番で原稿も無いという過酷な状況での通訳でしたので、逐次通訳では訳しきれなかった部分も含め新たに訳しました。(Y.Y.)

待降節の意味

今日は皆さんと一緒に待降節について深めて行きたいと思います。

待降節とは何かを思い巡らし、待降節をより良く過ごせるよう準備するのはとても大切な事だからです。

『待降節』は(教会の)典礼においてクリスマスを祝うための準備の時とされており、『クリスマス』は私達キリスト者にとって、信仰の『核心』を祝う時となっています。『受肉の神秘』によって、神ご自身が人となられた事を私達は信じているからです。

この『受肉の神秘』には大きな意味があります。

それは私達(人間が)が神との一致に達するように、神が私達のところへ来てくださったという事、また、ただ単に過去に起こった事を思い起こすだけではなく、(受肉の神秘は)私達の信仰の出発点でもあるのです。

私達を救うために神は人となられたのですが、その神は私達の内にずっと存在しておられます。待降節というのはその私達の内に生きておられるキリストをより良く、より深く受け入れるための時なのです。

この待降節の間には様々な伝統行事やシンボルがありますが、良く知られているシンボルの一つに『アドベント・キャンドル(待降節の4本のろうそく)』があります。

4本のろうそくは待降節中の4つの日曜日を意味しています。このアドベント・キャンドルの意味を思い巡らす事は、待降節とは何かを考えることに繋がります。待降節の間、日曜日ごとに、ろうそくの火を1本ずつ増やしていきます。日曜日毎に光が増えて行くのです。光が増える毎に温かさも増して行きます。

ここにそのろうそくがありますが、私達自身をろうそくに例えることも出来ます。ろうそくはそれ自体では あかりを灯す事は出来ません。ろうそくに あかりを灯す人と、火が必要です。私達もそうです。永遠の光であるキリストは私達のところに来てくださり、私達がもっともっと輝くようにしてくださるのです。

私達が光となれるよう、キリストは私達に「あなた達は世の光である」(マタイ 5章14節)と言いましたが、また同時に「私を離れては、あなた達は何もできない。」(ヨハネ1 5章5節)とも言っています。

信仰や愛徳、祈り等によって、私達は「世の光」になるように招かれていますが、同時に「キリストの光」も必要としているのです。キリストを離れては私達は輝く事ができないからです。

キリストによって、私達の内にある光が広がってゆき、私達は活き活きと成長して行きます。毎年この待降節を繰り返し生きる事によって、私達の内に光が増して行く。

アドベント・キャンドルは私達にその事を教えてくれているのです。

講師 : クラウス・バイヤー神父 (ノートルダム・ド・ヴィ司祭部会員)
訳 :  Y.Y.(ノートルダム・ド・ヴィ会員)

元となった講話はこちら↓

【音声】『待降節の意味~神を待ち望む~』(1)講師 クラウス・バイヤー神父(ノートルダム・ド・ヴィ司祭部会員)通訳 片山はるひ