三位一体のエリザベット(5)神はわたしのうちに、わたしは神のうちに(後半)最終回

2016年10月8日

2010年に掲載しました福者三位一体のエリザベットを再掲載しています。今回は第10回目 最終回です。執筆者はノートルダム・ド・ヴィ会員 伊従信子さんです。

※今年の10月16日に福者三位一体のエリザベットの列聖式がバチカンにおいて行われる事が決まりました。(6月20日バチカン公式発表より)

赦すために「わたしのうちに住まわれる神」

「わたしたちの前に立って裁くために神は来られるのではなく、魂が体を離れると、一生を通してわたしのうちに住まわれ、ともにいてくださったにもかかわらず顔を合わせて正視できなかったその方を、自分のうちにベールなしで見ることができるのです。このことはわたしの考えではなく、神学も教えることです。わたしたちを裁かれるその方が、わたしたちをいつもみじめさから救い出し、赦すためにわたしたちのうちに住まわれていることを思い出すと本当に慰めになります。<神はキリストに血を流させ、信じる人をその恵みにより、無償で正しい者とされるのです>(ロマ3・24)というパウロのことばもそれを裏づけます。」 『いのちの泉へ』113p 

死を前にして、自分の人生、それまでの生き方への悔いを痛切に感じ、神への不忠実を思うとき、神の裁きをおそれるかもしれません。でも、わたしたちを裁かれるその方が、わたしたちをいつもみじめさから救い出し、赦すために「わたしのうちに住まわれている」ことをエリザベットは強調します。父の愛の証しとしてわたしたち一人ひとりを救うために来られたイエス・キリストを信じ、母親の腕にまどろむ子供の委託のうちにこの地上で主とのかかわりを深めて生きることを勧めています。

 

「もしわたしが主と向かい合うなら、あらゆる自分の不忠実にかかわらず、子供が母親の腕でまどろむように、主の腕の中に身を委ねるでしょう。わたしたちを裁かれる方は、すでにわたしたちのうちにお住まいのその方以外の誰でもないのです。主は死へのこの苦しい移行を助けてくださる旅の同伴者となってくださるのです。」 『いのちの泉へ』112p 

おわり
伊従信子