「暗夜」を照らす炎  - 十字架の聖ヨハネ、 リジューの聖テレーズ、マザー・テレサ -(1)現代の闇

2012年5月18日

これから8回にわたり、片山はるひ (ノートルダム・ド・ヴィ会員)による

「暗夜」を照らす炎  - 十字架の聖ヨハネ、 リジューの聖テレーズ、マザー・テレサ-

を連載いたします。なお、この講話は『危機と霊性』
(日本キリスト教団出版局、2011年)に収録されているものです。

第1回目の今日は 『現代の闇』 をお送りします。

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現代の危機がひとつの「闇」であることを疑う人はいないことでしょう。先の見えない不透明性、生活の全てのレベルに広がった漠とした不安観、ともすれば絶望の闇の中で迷い子となってしまうような雰囲気が世界中に満ちています。教会もまたこのような社会の闇の中で、嵐にもてあそばれる舟のように様々な危機に直面しつつその旅路を続けてきました。

ですが、教会の歴史をひもとくならば、この一見もろく見える舟がいつの時代も嵐の中を航海しつつ進み、その舟の船首を光で導いてきたのは、それぞれの時代の聖人達であったことがよくわかります。ヒッポの聖アウグスチヌスを初め多くの教父、殉教者達、聖ベネディクトゥス、十三世紀の聖ドミニコと聖フランシスコ、十六世紀の聖イグナチオと聖フランシスコ・ザビエル、そして、アビラの聖テレサと十字架の聖ヨハネによる跣足カルメル会の改革、十九世紀後半から二十世紀にかけて、数多くの聖なる宣教師や聖人達の活躍。教会という今にも沈没しそうな船が今まで沈まずにすんだのは、これら聖人たちの存在と活躍によるといっても過言ではありません。

では現代の闇を照らす光はどこにあるのかと目を転じて見たときに、今年、生誕100周年を祝うマザーテレサとマザーが自らの霊性として選び取ったリジューの聖テレーズの霊性は、特に注目に値するように思われます。

マザーテレサ自身、自らの召命について次のように述べています。

090 Soleil couchant Ventoux

「私が聖人になることがあるなら、暗闇(darkness)の聖人になることでしょう。この地上で暗闇に沈む人々に光りを灯すために、天国にはいないことでしょう。」

これは、近年発表されたマザーの手記、Mother Teresa Come be my light のエピグラフに掲げられた言葉です。さんさんと輝く神の愛の光を受けてほほえむ暖かいおかあさんといったイメージのマザーからはまるで想像できない言葉です。この手記、内面の記録は発表された際に、タイム誌がややスキャンダラスなタイトル「マザーテレサの信仰の危機(Mother Teresa’s crisis of Faith)」で紹介したこともあって、世界中に一種の衝撃を与えました。ですが、それは霊性の知識のないジャーナリストがマザーの言葉を表面的に取り、その真の深い意味を全く読み取れなかったための誤解でした。今では、霊性の専門家達からの解明と解説がほどこされ、マザーの経験した闇、すなわち「暗夜」の意味が明らかになっています。

マザーの霊性がリジューの聖テレーズの霊性に基礎をおいていることはマザー自身の証言からも明らかであり、今までもよく知られてきたことです。 ですが、この「暗夜」というマザーテレサの霊性の真の深みは、遡って16世紀のカルメル会士、十字架の聖ヨハネの教えに照らしてでなければ、本当に理解することができないということが現在ようやく明らかになってきました。

聖人達のこのような霊性上の問題は、特殊などこか雲の上のことがらに思われるかもしれません。ですが、聖人たちとは、実はその時代の人間とその問題を最も良く知っていた人たちです。真の神秘家たちは皆驚くほどに、人間的であり、人間理解の師です。なぜなら神に近づいた人こそが、人間の神秘にも近づくことができるからです。

もちろん聖人達の生き方を模倣することやかれらの通った暗夜を、そのまま我々は追体験することはできません。ですが、現代の闇をどのように受け止め、それを「暗夜」として生きることができるのかというヒントは、彼らの体験と著作から学ぶことができます。以下そのような視点からこの3人の聖人の生涯と著作に学びたいと思います。

(つづく)
文:片山はるひ

次回掲載は6月中旬の予定です。

注:
1.Mother Teresa, Mother Teresa Come be my light, Rider,2008
2.このマザーの「暗夜」をめぐる問題とそのコンテキストについては、工藤裕美/シリル・ヴェリヤト『宣教師マザーテレサの生涯』上智大学出版、2010、第3刷に加えられた終章 「暗夜—マザーテレサが選んだ神の道」において詳しく論じられており、この論文から多くの示唆を得ることができる。また光延一郎編著、『イエス・キリストの「幸福」』、サンパウロ、2010、に収録された工藤裕美論文「マザー・テレサの生涯—幸いと暗夜」及び、拙論「幼子の幸福(さいわい)」も合わせて参照されたい。
3.和田町子『マザーテレサ』清水書院、1994年、pp.80-85.では、二人の聖人の比較と共通点があげられている。また、ジャック・ゴティエ『イエスの渇き−小さいテレーズとマザー・テレサ』女子パウロ会、2007年は、この点についての優れた解説となっている。