イエス・キリストと聖週間を「生きる」ために(4) ー 聖土曜日 - 幼きイエスのマリー・エウジェヌ神父と共に 講話:エマヌエル神父様

2019年4月20日

 

エマヌエル神父様イエス・キリストと聖週間を「生きる」ために
~幼きイエスのマリー・エウジェンヌ神父と共に~

講師 エマヌエル・ヒルシャワー神父(ノートルダム・ド・ヴィ司祭)

 

 

 

聖土曜日 マリアと共に

Marie noir十字架の上でイエスは私たちにマリアをくださいました。愛された弟子ヨハネは、マリアを自分の家に引き取ります。そして、聖土曜日は特別な日となります。それは同時に、聖母マリアの日とも言えます。イエスは死んでおり、沈黙と喪に服す日です。でもそこに希望がほのかに見える日でもあります。マリアは十字架のもとに立っていました。マリアはこの闇の絶望の中にも立ち尽くしていたのです。そこで希望と信仰を保っていました。父なる神の小さな娘として・・。この聖土曜日の、小さな唯一の希望は、聖母マリアでした。私たちの人生においても、聖土曜日があると思います。全てが闇に覆いつくされるとき、それはマリアの時です。
弟子ヨハネの家に迎え入れられたマリアは、そこで唯一の希望でした。ですから、この聖土曜日に、私たちもマリアとともに、ヨハネの家に行きたいと思います。マリアのそばに留まるために。子どもたちがそうするように、マリアを母として眺めそばにいるために。これが聖土曜日の師の祈りの一節です。
『マリアよ、今あなたは、私たちの唯一の生ける希望。あなたのそばに行きます。エルサレムでの持ち家に、ヨハネはあなたを連れて帰り、二階の高間へと案内します。私たちもまた、静かにあなたのもとに留まっていたい。あなたを見つめ、沈黙によって愛を表すわすために。あなたの心の深みへと入って生きたい。共にこの何時間かを過ごしていきたいのです。』
そのときのマリアは信仰の人でした。彼女は、その苦しみを乗り越えて、信仰のうちに留まるのです。神のもとに隠れ家を求めていきます。私たちはマリアの子どもですから、彼女の真似をしたいと思います。子どもたちがいつもお母さんを真似るように。
『マリアよ、今日、あなたの教えてくださることが深く心に刻み付けられるよう、あなたのそばに留まらせてください。あなたに倣うことは、苦しむこと・・。苦しみに押しつぶされそうになっても、希望を保っていること。人間的な支えもなく、人の目から見れば絶望的に思われるときでさえも、この信仰、無一物となった希望によってこそ、復活の神秘のうちに入って行くことができます。こうして希望が大きくなればなるほど、復活された主から湧き出でる命の水の泉から、ふんだんに飲むことができます。マリアよ、それはとりわけ神の哀れみの愛とあなたの慈しみによるのです。』

マリアの希望と復活の喜び

ですから、マリアの信仰と希望と共に復活の喜びの中に入っていきましょう。そしてこの世の闇の神秘の中で主は復活されました。復活の日は命の勝利の日です。これが私たちキリスト者の信仰の中心です。私たちの希望の基盤です。なぜなら、神の愛は私たちの罪と死を超えて無限に強いからです。復活したキリストを眺めながら、マリー・エウジェンヌ師の眼差しは教会に広がっていきます。キリストの命とは、キリストの肉体の命だけを意味しているのではありません。それは同時に、「教会」というキリストの神秘体の命も示しています。この命は私たち一人ひとりのためのものです。復活祭は教会の始めです。そしてここでイエスはその体で、あふれる命を私たちに示されます。それは同時に彼の神秘体の命の溢れでもあります。キリストから溢れ出る命は、私たちの魂の中にあふれ出て、キリストの神秘体のうちにも全て溢れ出ていくのです。
キリストの命は、私たち一人ひとりのためであり、私たちの周りにいる全ての人々のためです。復活祭の日というのは、私たちがキリストの命をまわりに広げていくことができる、そんな日でもあります。それをするようにとマリー・エウジェンヌ師も私たちを招きます。
(つづく)

前回まで掲載の講話はこちら
イエス・キリストと聖週間を「生きる」ために(1)

(2)聖木曜日

(3)聖金曜日