≪NDVアーカイブ≫ テレーズにおける観想的祈り(1)伊従 信子

2019年6月25日

今回は2010年9月30日に掲載しました 『テレーズにおける観想的祈り』(1)をご紹介します。

執筆者:伊従 信子(ノートルダム・ド・ヴィ会員)

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 現在わたしたちが手にする『幼いイエスの聖テレーズ自叙伝 三つの原稿』の原稿Bに「小鳥の話」が記されています。しかし、『自叙伝』として出版される前の物(題名『ある霊魂の物語』日本語訳『小さい花』テレーズ列福前1911年出版)にはこの話は記載されていません。幼きイエスのマリー・エウジェンヌ帥(『わたしは神を見たい』の著者)は、カルメル会総長頑問としてリジューのカルメル女子修道院を度々訪間しました。そんな折りに、テレーズの未公開原稿としてこの「小鳥の話」を渡されました。一気に読み終わったとき、一見まったく子どもじみたこの話に、観想的祈りの深い体験が息づいているのに驚いたと師は後日語っています。

「小鳥の話」を引用しながら観想的祈りの本質を探ってみることにしましょう。観想的祈りは決して休息ではありません、むしろ非常に難しい。祈りにおいて矛盾を体験し、どうしたらよいかわからない、聖霊の光に照らされ導かれる必要を感じます。(アヴィラのテレサは『自叙伝』『完徳の道』『霊魂の城』でこの困難について記しています) 十字架の聖ヨハネは「観想に達し、無能力の状頭にあって、この闇のうちでどうしてよいかわからない」人々のためにこそ筆を執ると言っています(『カルメル山登はん』)

小さいものでありながら、神に近付く

「どうしてわたしのような不完全なものが、愛の充満をわがものにしたいと渇望することになるのでしょうか…?」『自叙伝』(改訳版1996年) 通し番号260

「どうしてわたしのように不完全なものが」と間うテレーズは、しかし愛の充満、すなわち聖性を渇望しています。わたしたち一人ひとりは聖性に呼ばれています、聖なるものとなるように呼ばれています(教会憲章)。愛の充満を渇望する権利と義務があるのです、それ故「どうして」と問う必要はありません。テレーズの間いは、自分の貧しさ、小ささの自覚と愛の充満、神との一致の深さ、高さへの驚嘆からの間いです。

「おお、イエスさま! わたしの第一の、そして唯一の友よ、わたしがただ一人愛する方、教えてください、これはどういう神秘であるかを…」

原稿Bのはじめにイエスさまに宛て直接書いたほうが自分の考えをもっと易しく言い表わせると断わって、テレーズは「小烏の話」をイエスご自身に話しかけています。このようにして、「テレーズの第一の、そして唯一の愛」であるイエスとの語らい、テレーズの「念祷」をわたしたちは知ることになるのです。

「なぜこのように果てしないあこがれを、偉大な方々、空高く翔る鷲のために取っておかれないのですか…?」『自叙伝』260

ここに記されている「果てしないあこがれ」は、同じ原稿の他の箇所で熱をこめて語る「軍人、司祭、使徒、博士、殉教者」一つひとつの召命と対応している(『自叙伝』251-254)。このような果てしないあこがれを、神はなぜ空高く翔る鷲、偉大な聖入たちのために取っておかれないのでしょうか?「わたしは、ただうぶ毛に包まれたか弱い小鳥です」とテレーズは言います。それ故これは「小さな小鳥のたとえ話」なのです。果てしないあこがれと自分の弱さの自覚。この二者間の矛盾はどのように解決されるのでしょうか。

「わたしは大きくなる必要はありません。かえって小さいままでいなければなりません。」『自叙伝』271

「小さいままでいる」とはどういうことなのでしょう。テレーズは一体どうしようとするのでしょうか。「わたしは鷲ではありません。ただ鷲の目と心をもっているだけです」。鷲、大聖人のように太陽へと飛び立っていけません。小さな小鳥でしかないのですから。しかし、鷲の目と心をもつています。大したことはないようですが、見るための目と愛するための心(すなわち愛に根ざした信仰)をもっているとテレーズは言います。これこそ観想の本質ではないでしょうか。テレーズは鷲ではありません、しかし、その目と心で太陽を観想することはできるのです。

「この上なく小さな者ながら、大胆にも愛の神々しい太陽を見つめ、荒鷲そっくりのあこがれを一つ残らず胸に感じているからです。」『自叙伝』260。

小さいものであっても、神々しい太陽を見つめることはできます。「見つめる」という動詞をテレーズは度々使います。「見つめる」とは単純な眼差しで神を見る、すなわち観想する、大胆にも見つめるのです。「キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近付くことができます。」(エフェソ3・12)と聖パウロは書いています。わたしたちも信仰によって大胆に神に近付く権利があります。

*参考 『幼いイエスの聖テレーズ自叙伝 その三つの原稿』(改訂版)
東京女子跣足カルメル会訳 伊従信子改訳 ドン・ボスコ社 1996年

つづく
伊従信子